#101 ビルマの休日 その14 (リターンズ)

NO101 ビルマの休日 その14

at 2006 03/09 23:39 編集

朝食もそこそこに二人は慌ただしくチェックアウトしていった。これからゴールデンロックに登頂しに行くそうだ。健闘を祈る。新たな伝説を作って欲しい。
「どうですか、昨日はよく眠れましたか」とチョウチョウさん。
「はい、ぐっすりと。ところでホテルのパンフレットに書いてありましたけど、ここには養護施設もあるそうですね」
「はい。小学生から高校生まで七百人くらいが住んでいます。費用はいろいろな国からの寄付と、ホテルでミャンマーのダンスを見せることがありますから、そのお金で賄われています」
「そこは見学できますか」
「もちろんできますよ。案内しましょう」
ホテルの裏にある小さな丘を越えると、そこには様々な施設があった。男女別の寄宿舎はもちろん、規模は小さいけど図書館や運動場や娯楽室や医療室や調理場など。大きなかまどのある調理場では子供たちが朝食を作っていたし、明日がイギリスからの独立記念日だということで遊戯場のような所で小学生がダンスを練習していた。
「この教室は日本政府と民間団体からの寄付で2001年に建てられました。寄付金が一番多いのは日本です」
チョウチョウさんがひときわ大きな教室を指差す。外壁にはその事が日本語とビルマ語と英語で書かれたプレートが掲げてあった。こっちとしても鼻が高い。ホテルに置いてあるパンフレットにはこう書かれている。
「この施設には弧児や養育を受けることの困難な家庭や地域から来たビルマ族、シャン族、パオ族、ナーガ族、カヤー族、パダウン族、カレン族の子供たちが住んでいます。宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。子供たちの大半は施設を出ると援助を受けて、より高度な教育を受けます。中には施設に戻ってきて教育や運営に携わったり、自分たちの故郷の村に帰って子供たちに教育の準備をさせる卒業生もいます」。(続く)  
 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
彼等がどうなったかは知らないがゴールデンロックの登山は困難であったと考えられます。
 どこかの町で財政難から高校生が泣きながら私立高校の授業料の補助金の打ち切りを辞めてほしいと訴えていた。

日本であってもミャンマーであっても困ってる子供達はいます。これからは海外よりもまず日本国内の教育を改善する必要があると思われます。
 カレン族については、独立運動に日本人傭兵も関わってたのは有名なお話ですね。
今回の海外旅行記で最も強調したいのは、「宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。」重要ですね。信仰の自由を重要視するのは大事です。信仰の自由が失われてから重大さに気づくのは間違えてると思います。合法的な宗教団体である限りは守られるべきです。
平成18年の作品だから平成10年代末期の作品と言っても過言ではないです。それでは、皆さん次回にご期待ください。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。