at 2006 04/07 22:18 編集
カトマンズの朝は早い。そして寒い。ここ、バサンタプルの広場でも早朝から何することもなく人々がたむろしている。オーストラリアから来たという少女が物乞いをする少年に仏心を出し、パンケーキを買ってやった。それを他のガキどもが見逃すわけはない。「僕にも、僕にも」 と彼女を取り囲む。困惑顔の彼女はしかし、近くにいた大人がたしなめたおかげで事なきを得た。ああくわばら、くわばら、桑原和男。それにしても遅い。さっきから誰も来ない。なぜ私がこんな所で待ちぼうけを食っているかというと、今からさかのぼること昨日のことだ。
タメルで一泊した私はジョッチェンに投宿しようと昼前にここにたどり着いた。そして広場の入口にある貸し自転車屋の前の絵看板に目が釘付けになってしまったのだ。こっ、この一見ヘタだがよく見るとやっぱりヘタな絵は極真会館の松井館長ではないかっ。ほれっ、その証拠に極真マークもちゃんと描いてあるぞ。なにを隠そう、私は極真空手家オタクだ。夢はムエタイ・ボクサーとルンピニー・スタジアムで戦うことだ(嘘ぴょ~ん)。ちなみに子安慎悟?(あれっ?)のファンだ。ここってもしかしなくてもネパール支部じゃん。これも何かのお導き。天国の大山総裁、ありがとうございます、押忍っ。カラテ道場を知らないかとそこら辺の人に聞いてまわったが、誰も知らん。そうしている内に六十歳くらいの油すましみたいなお爺がいつの間にか出て来て、のたもうた。
「道場なら閉鎖して去年ニューヨークに引っ越したよ」
はあ~っ? 何でネパールの道場がニューヨークに引っ越すんじゃい、ワレ。こうなったら戦争じゃけん。止めんでつかあさい、オジキ! と今ならつっこむところだが、生憎その時の私は冷静さを失っていたので心底、落胆した。せめて閉鎖した道場でも見たいと所在地を聞くと、このじっさま知らんとぬかしよる。何でやねん! 筋が通らへんやないけ! ワシは筋の通らんことは嫌いじゃ。タマ取ったりますけん、止めんでつかあさい、オジキ! と今ならつっこむところだが、私はあせって平常心を失っていた。しばらくすると、じっさまはまわりの人に何ごとかを尋ね、郵便局に行こうと促すのだ。
何でやぁ~~っっ?!
しかし、頼みの綱はこのじっさましかおらん。大人しくついて行くと、うしろからガタイのいい男が追っかけて来た。
「僕の弟は黒帯で指導員をしてたんだ。僕自身は結婚して忙しくなったので茶帯でやめてしまったけど」
そうか、そうか。君がそうなのか。会いたかったぞ。我々は再会を約束し、そこで別れた。聞きたい話はたくさんあるが、まずホテルを確保しとかんとな。ホテルにチェックインする時もなぜかじっさまはついて来て街を案内してくれた(とはいっても広場とショッピング・センターだけだったが)。バサンタプルに戻り、さきほどの男と話をしていると彼の弟の黒帯空手男(クマルという名前)と奥さんがやって来た。奥さんは台湾人で、ネパール旅行中にクマルと知り合ったそうだ。二人はこの広場で露店商として土産物を売っているのだ。私とクマルはカラテについて飽くことなく、何時間も語り合った。奥さんは傍らに座っていて、うんうんと時おり会話に加わる。
そうこうしていると、 じっさまが再び現われて、「あっちで待ってるから」 と言った。このたわけた子泣きじじいめ。わしが何のために世界中で何度も何度も何度も(泣)騙され続け、何回も何回も何回も(号泣)金をまきあげられたと思うてけつかんねん! てめえの悪だくみなんぞ、こちとらお見通しでい!(もっと早く気いつかんか~い)
無視するとじっさまはいつの間にかいなくなった。あまりクマルの商売の邪魔をしては悪い。 「またあとでね」 と腰を上げ、近くのガキんちょたちにババぬきを教えて遊んでいたら、今度は見るからに怪しそうな男に肩を叩かれ、ついてこいと声をかけられた。てめえ、じじいの仲間か、と警戒心を抱きながらもついていった。この男はとてもとても人相が悪い。凶悪といっても過言ではない。逃げ出したほうがよいのではないだろうかとビビりながらついていくと、五、六人の男女がたむろしている場所へ連れてこられた。なによっ、あんたたち、変なことしたら大声だすわよっ。すると中の一人が言った。
「私たちはキョクシンカラテのメンバーです。オス!」
なんだ~、びっくりさせんじゃないわよ~、思わずヒザがかっくんとなっちゃったじゃないの。でも良かったわ、会えて。みんなに連れられてすぐ近くにある彼らの先生(三段)のアパートまで案内してもらった。先生は八畳ほどの部屋に妻子と住んでいるのだが、壁という壁の至る所にカラテの賞状が飾られている。何冊もあるアルバムは稽古や試合の写真ばかりだ。私(ドリアン)は猛烈に感動した! この地でこんなにも極真カラテを愛している男がいたことに!! (梶原一騎調でお読みください)
一週間後に試合があるからビザを四日間延長してカラテを教えてくれと懇願されたが、私は真面目なリーマン・パッカーだ。出勤日から四日間無断欠勤したら即刻、馘首じゃないか。家賃はどうやって払うんだ。残念ながら断ると、それじゃあ、明日道場生とピクニックに行くから一緒に行きましょうと誘われたのだ。
七時の予定が結局八時半に出発した(ネパールタイムだそうです)。八人が幌付きのトラックの荷台に押し込められた。みんなの顔を見ると何だかヤクザの出入りか自衛隊の演習って感じだ。着いたダクシンカリはヒンズー教の寺院で祭りには神サマに捧げるためにヤギの首をはねるそうである。ピクニックといってもネパール人は弁当なんぞ持っていかん。材料を持参して現地で女性たちが料理してカレーを作る。トラックに積んでいたバカでかいインド製のカセットとスピーカーでダンス大会をするつもりだったらしいが、シャイなネパール人は誰も踊ろうとしないのだ。ここでも私が得意のダンスを披露して、皆の尊敬を一身に集めたのはいうまでもない。
翌朝、バサンタプルを歩いていると誰かに聞いたのか、「僕もキョクシンカイです」と佃煮にできるほどのガキんちょ、いや少年たちに声をかけられた。そういうわけで朝からこの広場にはあっちこっちで気合いがこだまするのであった。オ~~スッ!
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
初めにお伝えしますが、平成10年代にドリアン長野が良い意味での懐古からかネパールのお話を再掲載してました。一応、順番通りに行いたいのと少しばかり難しい事柄があることから、再び私も皆さんに再度伝達したいと考えて再掲載することにしました。
以下は、平成23年の元旦に行ったリターンズの感想文と皆様への伝達事項です。
ドリアン長野は、本当に空手家です。 ネパールでも価値観を分かち合ってきたそうです。 何かの共通点があると人は仲良くなりやすいですね。
ただ、ネパールと言えば、政変がありました。 平成10年代は、王政でしたが平成20年からはそうではなくなりました。 我々は、内政干渉は行えないであろう。 実際にネパールに詳しい日本人に話を聞きましたが、そういった返答でした。
これは、実体験のお話しだが確か90年代のある日だったと思うが宅配ピザを発注した所、ご近所のお子様達が「ピザを一枚くれ。」と叫び始めたのを連想する。
2000年以降の平成10年代のある日以降、日本の治安が悪化しているからなのか、悪化したからなのか、私の危険性を理解したからか(笑)、彼等が大人になったからなのかは全く分からないが、馬鹿げた質問をされることは無くなったから良かった。 最近の日本人は、罪悪感が欠落した悪人が増加してきて社会問題になっているが元々は馬鹿げた発言をする人間に問題がある。
何らかの国際的な団体に自分自身が所属していて、諸外国に赴き同じ志を持つ人々に出会うと嬉しい気持ちになると思います。 確かに色々と生活習慣等で違う点は多いが共通点が存在すると話しが合うんでしょうね。 皆様は、どうですか? 来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)をお楽しみにお待ちください。
ドリアン長野は、本当に空手家です。 ネパールでも価値観を分かち合ってきたそうです。 何かの共通点があると人は仲良くなりやすいですね。
ただ、ネパールと言えば、政変がありました。 平成10年代は、王政でしたが平成20年からはそうではなくなりました。 我々は、内政干渉は行えないであろう。 実際にネパールに詳しい日本人に話を聞きましたが、そういった返答でした。
これは、実体験のお話しだが確か90年代のある日だったと思うが宅配ピザを発注した所、ご近所のお子様達が「ピザを一枚くれ。」と叫び始めたのを連想する。
2000年以降の平成10年代のある日以降、日本の治安が悪化しているからなのか、悪化したからなのか、私の危険性を理解したからか(笑)、彼等が大人になったからなのかは全く分からないが、馬鹿げた質問をされることは無くなったから良かった。 最近の日本人は、罪悪感が欠落した悪人が増加してきて社会問題になっているが元々は馬鹿げた発言をする人間に問題がある。
何らかの国際的な団体に自分自身が所属していて、諸外国に赴き同じ志を持つ人々に出会うと嬉しい気持ちになると思います。 確かに色々と生活習慣等で違う点は多いが共通点が存在すると話しが合うんでしょうね。 皆様は、どうですか? 来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)をお楽しみにお待ちください。
以下は、特別な発表事項です。
ネパール人の中でも政治については人の数だけ意見が分かれるようです。一応は内政不干渉が正しいです。一方で国内政治について考える有権者は多いです。
初めに、「ピザを一枚くれ。」と理不尽な要求を叫んだ女の子がいてその女の子の名前が〇なちゃんだったから「(OSで有名な)リ〇ックス。」と発言した後、ショックだったようです。悪さをする子供には氏名を冷やかす位のシツケが必要ですね。
又、彼女と一緒に遊んでいた女の子が、確か平成10年代に大きくなってセーラー服を着用して彼女と彼女の友人達が我が家の近所にいた時にその女の子はアジア系外国人なのでその国の言葉で挨拶をしようとしたら、彼女は泣きそうな声で「辞めて。」と言われて今でも笑わずにはいられません。テポド〇の影響を友人達に知られるのが怖かったのかな?彼女が幼い時は水鉄砲で迷惑をかける子供であった。親御さんは良いが子供さんには問題があった。近所の子供が悪さをした時には大人はピシャと雷を落とす必要がありますね。
これだけだと政治ネタか悪さをした子供達についての愚痴だけですが、先月、ネパール料理店についてドリアン長野が紹介しました。以下をクリックしてください。