#105 インド編 その1(リターンズ)

NO 105 インド編 その1

at 2006 04/30 17:24 編集

人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。この世は二種類の人間しかいない。インドに行ったことのある人間とそうでない人間と。私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。――
なんてね、オレは沢木耕太郎かってえの。このようにインドとなると人はテツガクしてしまうのである。私がインドに旅立った(そんなに大袈裟なもんじゃないけど)のは自分を変えたかったからだ。(まだ若かったんです。すいません) その頃の私は私生活で色々とあって、その打開策を旅に求めたんである。旅に出て、人間をひと回りでかくして日本に戻ってくるぞっ! そのためにはやはりインドだっ! と、かようなことを考えていました。(あの、旅行は一週間だけです。大馬鹿野郎です、私は。生きててすみません)
なんせ、初めての海外旅行である。インドに関する本は手当たりしだいに読んでいたのだが、それが余計にインドに対する期待をいやがうえにも高まらせ、好奇心と不安が叶姉妹のように攻防戦を始める。もしかしたら生きて帰れないかもしれない。搭乗前に成田(関空は当時開港してなかった)から実家に電話したのはせめて死ぬ前に一言残しておこうという親孝行のつもりである。
「新聞には載るなよ」
という父親の暖かいのかなんだかよくわからない言葉を胸に抱き、機内に乗り込むと客室の壁にはおどろおどろしい曼陀羅のような絵が描かれている。すかさず脳の中の小人がラインダンスを踊り始め、細木数子先生に 「どこが面白いの、あんた!」 と 一喝された猫ひろしよりもびびる。にゃあ~。
とにかくエア・インディアは飛び立ち、まずい機内食と太めで愛想の悪いサリー姿のスッチーにうんざりし始めた頃、ようやくカルカッタ(現コルカタ)のダムダム空港(現在はチャンドラ・ボース空港と改名)に着いた。ちなみにダムダムというのは地名である。殺傷力が高く、残酷なので使用を禁止されたダムダム弾はここの造兵廠で製造されたそうだ(ドリアンの豆知識よ、ってそんな余裕があったのか? なかった。まったくありませんでしたっ)。
夜の7時。タラップを降りると、いきなり暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。しかも硝煙というか、焼けたゴムというか、ともかくそんな臭いがする。しかも空港警備員は小銃を持っている( 正直、帰ろう......かな? と少しだけ思いました) 。空港ビル内に入ると、国際空港だとは思えないほど薄暗い。空調なんぞはもちろんなく、天井に三枚羽の扇風機がゆったりとハエを追うように回ってるだけ。それにしても暑い。なんか飲みたい。
「Drinking water」と書かれたプレートが目についたので近寄ってみると、そこには公園にあるような噴水式の蛇口(下から口に向かって噴水する、あれね)がぽつんとあった。なにもこんなもんに仰々しくプレートをつけんでも.......。いや、ここはインドだ。水道水が飲めるだけでもありがたいと思わんとな。入国審査と税関を終え、外に出ようとしたが、そこで足がピタリと止まった。なんと外にはインド人たちが押すな押すなと黒山の人だかり (インド人だからホントに黒い) で出てくる人間を待ち構えてるんである。それはなにも私が有名人なのでサインをもらおうとか、インドの地を初めて踏む日本人を熱列歓迎してやろうとかといった気持ちからでは決っしてない。やつらはタクシーやホテルの客引きである。全員が、俺はこの客引きに命を賭けてるんだ。なんてったって、家族の生活がかかってるからな。かあちゃん、待ってろよ。明日もチャパティ-を食わせてやっからな。そらっ! 金持ちの日本人が出てきやがった。今夜のカモはあいつだ。ぜってえ、逃がさねえぜ、なんて顔をしてるのだ。
ひえ~っ! あいつらの中に出ていくんかいっ! 思わず「ドラゴン 怒りの鉄拳」でブルース・リーが暴徒と化した群集や拳銃を構えた警官隊に走り出て、飛び蹴りをかますラストシーンが浮かんだね。
しかし、ここで回れ右をして帰国してしまっては、末代までの恥だし、航空券が無駄になる。よしっ、待ってろよ、インド人! サムライ魂をみせてやるわあ~っ! と、ここで私は、はたと気づいた。興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、! 

「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カムカム!」
「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ!
「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン。カミソリの刃なんか送ってくんなよ)
ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。
「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」
「イエス! イエス! イエース!!」 
私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」
そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」 と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」 と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!! (つづく) 

 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 1994年(平成6年)9月四日に関空が開港しました。今となっては関空は今年高校を卒業した人々が産れる前に開港した空港です。
 ドリアン長野が平成18年に関空開港前のインド旅行を連想しながら発表した内容について元(ハジメ)が平成26年に論評を加えるといった具合です。
 常識が通用する人かそうでないかはとても大きな差異がありますね。来日してる外国人は一応は入国審査があるがそれでもすり抜けてやってくるよろしくない人もいます。無論、性格があうかあわないかについては国籍を問わないやもしれません。一部の外国人野球選手やカルロス・ゴーンのように成功してる外国人がいる一方で日本で問題行動を取る外国人がいるのは周知のとおりです。
海外では合法でも日本では違法といった行いはございます。客引きは日本でも疑問視されてますね。
海外でも高い標準を保っていたら空港での客引きよりもう少し良い仕事に従事してるかもしれませんね。インドの西ベンガル州のネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港前では詐欺師のような人もいたようです。
 ドリアン長野の私生活の試練についての発表は控えておきますが海外旅行に行ったからといって問題は解決しないと私は思います。
 半ば余談かもしれませんが西ベンガル州はインド東部の町です。ベンガル地方の東側が1971年に独立したバングラデシュで西側がインドになったので前述したようにインド東部であっても西ベンガル州で矛盾はしていないのです。 
 半ば周知のようにドリアン長野が独身であった海外旅行記は終了に近づいてます。それでは皆様、次回にご期待ください。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。