ドリアンという名前を 僕にもくれないか

「そうか やっぱり君はくだものの魔王だ
僕にも君の その炎熱の魔力を分けてくれ
ドリアンという名前を 僕にもくれないか」
小学生のときに読んだ「空手バカ一代
中学生のときに知ったブルース・リー
高校生のときに聴いたセックス・ピストルズ
人生にはいくつかの転機というものがある
四度目というべき黒船襲来は30代のときだった
いや、27歳のときにインドから帰ってきたら告白しようと考えていた女性に結婚するのと電話口で告げられ失意の中で旅したコルカタ、デリー、バナラシー行きもその中に入るかもしれないが、少しカテゴリーから外れる
ともかく、強烈だった
心臓を鷲掴みにされるという強烈な読書体験を初めて知った
作者が失意の中で旅したテレジン
子どもたちばかりを集めたナチスの収容所
明日ガス室に送られるかもしれない子どもたちが残した絵を見て激しい感情に揺さぶられる
「彼らが収容された時には、彼らの両親もまたナチスによって連行されたに違いない。彼らは両親の運命も知りながら、救いようがない絶望の中でこれらの絵や日記を残したのだ。
僕は知らなかったのだ
殺された子供たちの魂が、実は僕の魂であり、あなたの魂であることを。
あなたはなぜあなた自身をあきらめるのですか?
あなたはなぜあなたらしく生きようとしないのですか?
ぼくたちのことを あなたの言葉で伝えてよ。
ぼくたちのことを あなたの歌で伝えてよ。」
作者は演劇やパティ・スミスなどのポエトリーリーディングに影響を受けた、音楽に載せて詩を朗読、あるいは叫ぶという全く新しい分野のパンクバンド「叫ぶ詩人の会」を結成する
「気でも狂ったのかと言われたのよ
だから狂ったと答えたの
タクシードライバーのデ・ニーロのように
人を殺しに行くのかって言われたのよ
だから答えたの
殺しはしません
抱くのです
叫んで 歌って 抱くのです」
彼らのCDを聴く度に滂沱の涙が止まらなかった
失意の中でもがき苦しんでいた自分と重なり合う部分もあった
彼らのコンサートにも何度か足を運んだが、それは今まで体験したことがなかった奇妙なライブだった
観客は熱狂することもなく、踊り出すこともなく、いや踊り出そうにもリズムに乗ることが不可能なのだ
身じろぎもせず、ただステージを見つめている
しかし感情を外に出すのではないが、彼らの放出するあまたの言葉によって内面は激しい感情を喚起される、少なくとも自分がそうだった
人は人によって殺される
人は言葉によって救われる
ずっとパンクを聴いてきた劣等感まみれの自分自身の心情である
「僕らは知っているのだ
広大無形なこの廃墟からも
いつの日か命が生まれることを
希望が生まれることを
虹彩の奇跡が生まれることを
湾岸線に陽は昇る」

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。