「侠気」 平成29年7月

私はプロレスについて全く無知である。しかし格闘技を少しかじった人間として、プロレスラーがとんでもなく強いことはよくわかる。この本で高田はプロレスと「PRIDE」を比較してプロレスの「不文律」を暴露している。それに対してプロレスを愛するターザン山本氏がアンチとして「『泣き虫』に捧げる永久戦犯」を出した。特にこの本で彼と対談している新間寿氏の怒りは凄まじい。高田の人間性を完膚なきまで否定している。
しかし、しかしである。著者である金子達仁氏はあとがきでこう書いている。
「なぜ高田さんはここまでの話をしたのか。本書にはプロレス界、格闘技界についてのタブーにまで踏み込んだ部分がある。熱狂的なプロレスファンの中から、書いた人間、書かれた人間に対する怒りの声が上がってくるであろうことは、十分に予想できる。この本を出版することによって生じるメリットとデメリットを比較すれば、後者の方がはるかに大きいことになってしまうかもしれない。
では、なぜ?」
金子氏は言う。高田にとって大きな存在である桜庭和志、プロレスラーである彼は今、PRIDEのリングだけで生きている。それがどれほど危険なことか、そのことを格闘技ファンに伝えるためには自ら被る被害を代償としてもプロレスとPRIDEの違いにまで踏み込む必要があった。
もう一つのなぜ。「なぜ高田さんはここまでの話を私にしたのか」
「高田さんは巻き込みたくなかったのではないか。これまでの人生を、高田さん自らが筆をとって明らかにしていくならばともかく、ライターなり作家なりが直接的な記述者となる以上、降りかかる火の粉は高田さんだけでなく書き手の方にも向けられることが考えられる。そうなった場合、これからも格闘技、プロレスの世界で生きていく書き手にとっては死活問題にもなりかねない。過去の雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事を読み返してみる限り、高田さんには間違いなく信頼し、心を許している書き手が何人かいる。それでも、そうした人たちから、なぜ自分に話してくれなかったんだ、という反応が出てくるのを承知の上で、全くの門外漢に秘密を明かしたのか。その門外漢が、格闘技の世界以外に仕事の基盤を持っていたからではないか、と私は思うのだ。もっとも、こちらの推測も、高田さんは「そんなことないよ」と笑って否定しそうだが…。」
ふいに、二十年以上も前に読んだ、大山史朗「山谷崖っぷち日記」の中にある、
「六、七人の軽作業者の内一人だけが炎天下でのスコップ仕事(日当は変わらない)というきついものへまわる必要があった。誰もがやりたがらない中、年長の木下さんが手を挙げ、「しょうがない。私がやりますよ」と言った。これこそが侠気というものではないだろうか。侠気とは、自らが損になるのが明らかなことをしぶしぶやることだと、その時、理解した。」
という文章を思い出したのだった。この「しぶしぶ」というのが要諦で、あえて嫌なこと、やりたくないこと、自分が不利益をこうむることを他人のためにやること、それが侠気だというわけである。
最後に「泣き虫」というタイトルについて。
「現在進行形で、コンプレックにさいなまれている人間は、自分のコンプレックスを笑うことはできない。自分に自信のない者は、そんな自分を笑うことができない。
高田さんは泣いてきた。辛さに、痛みに、喜びに。そして、泣いてきた自分を、かっこわるいっすよね、と笑い飛ばしてみせた。
泣いていた過去がなければ、笑っている今はなかった。ぼくはそう思うし、おそらく高田さんもそう思っている。「泣き虫」という、いまの高田さんにあまりにもふさわしくないタイトルをつけたのは、そんなわけである。」

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月28日 ">



 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。