先日は長野紙店のプレクロージングセールに多数のご来店誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
FBを見てご来店いただいた方、FBFで初めてお会いできた方、ご来店いただき、名刺を交換していただいた方、ありがとうございました。お一人お一人に心から感謝いたします。
最後に挨拶したいと父の到着を待っていただいた多くの方、ありがとうございました。父がいなくなると、そして長野紙店が無くなると寂しいと目を真っ赤にしてくださった方、おやじさんはわれわれプラモマニアにとって教祖みたいなものだったよ、とおっしゃっていただいた方、父と長野紙店が地元の人に愛されていると知り、胸が熱くなりました。
長野紙店は明治年間に長野平次郎と妻艶子が始めました。稼業は繁盛していましたが、艶子は夫と三人の子どもを次々と肺結核で亡くしました。いとこの母房子を養子縁組したのち、昭和35年1月に自宅で自ら命を絶ちました。享年62でした。
ショックと戸主という重責で不安だった母はその二か月後に父と見合いをし、翌月に自宅で結婚式を挙げました。そして翌年に私が生まれました。
母は安堵したのでしょう、私が物心ついた頃から笑っている顔しか記憶にありません。
開店当日の朝、早起きして艶子さんの墓参に行きました。
どうか、長野紙店を最後まで見守っていてください、と。その時雨が降ってきました。
ご来店してくださった皆様、本当にありがとうございました。
父四歳、両親と兄と
開店前
母と一歳の私