平成31年1月にフェイスブックで投稿された内容の転載

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ドリアン長野 おい、志位氏、チューは時間がかかる。

志位氏 とチュー嫌すぎ 笑
反日がうつる(T_T)'

ドリアン長野 なるほど

冷蔵庫を掃除してたら出てきた。

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分身だー*\(^o^)/*

ドリアン長野 呼んだ❓

匂いは?

ドリアン長野 さすがに開封してないので匂いはありません。

やっぱり、パンチ(突き)が効いてますか?(ΘvΘノ)

ドリアン長野 ワンツーパンチからローキックといったところですね。

私もさがしてみる!

ドリアン長野 台湾にはありそう。

さがします!

むかし、ドリアンチョコを食べた事がある! とろっとしたあまさだった!

ドリアン長野 ドリアンアイスやドリアン羊羹は経験がありますがチョコは味の想像がつきません。

うちの子が ドリアン味ってうれるのか?って まあ 1個は売れてるからね

ドリアン長野 隠れたマニアがいるそうです。

私も昨日冷凍庫掃除したら同じのが出てきました。食べてみたら食べられますが普通のチョコのほうが好きです。

ドリアン長野 ドリアンチョコが⁉️


ありがたや、ありがたや


耳まんじゅう…


取り出せないよなあ



実用的


元ばれ


FBをやっているとプロフィール写真が空手着なので世界中の空手家から友だちリクエストがくる。彼らは欧米、中南米、アジア、オセアニア、アフリカ圏にかかかわらず一様に末尾にOSU(OSS)と付け加える。

OSUは空手のみならず、海外では柔道、ブラジリアン柔術など他の武道へも普及し、200近い国や地域で日常的に使われている言葉となっているそうだ。
しかし空手発祥の地である沖縄に「押忍」という言葉はない。「押忍」はどこで誕生したのだろうか、また「押忍」と書いて「オス」と読むのはなぜか。「オス」は「おはようございます」の省略形なのか。

著者の文献調査、多数の関係者への聞き取り調査を経てそれが明らかにされていく。
徐々に核心に迫っていく過程は推理小説を読むようなワクワク感がある。

ネタバレしてしまうと、発祥は拓殖大学であった。拓大出身の武道家というと、塩田剛三大山倍達金澤弘和岩釣兼生がいる。

例えばこの一節はかなり示唆的である。

「日頃"OSS"を発しているブラジリアン柔術家は、"OSS"という言葉のルーツが、木村の母校にあるとは知る由もないであろう。」

60年前、木村政彦がエリオ.グレイシー対戦し、腕がらみでエリオの腕をへし折った。それ以降ブラジリアン柔術では腕がらみのことを「キムラロック」と呼ぶようになった。このことが広く知られていることとは対照的である。

著者は元キックボクサーであり、日本初の格闘技専門スポーツカフェ経営の傍ら、K-1公認審判員及び公認審議員。株式会社アスリートフーズ代表取締役

「押忍」の語源もわからずにボ〜っと生きてんじゃねえよ❗️

押忍、失礼しました。
道家、格闘家必読です。


今日の産経新聞から
😭


懐かしいですね


嫌煙の仲」

仲がいいのか悪いのか


大問題発生


:(;゙゚'ω゚'):


ヲイッ
(管理人 マーキュリーマークからの伝言 米子市の長野紙店の閉店セールを昨年何度も行ったのはどこの誰でしょうか?
又、投稿回数ですが将来的には今よりも削減します)




「大蛸に教えられ」

子どもならまだしもタコにまで





まずタイトルが秀逸だ。もしこれが
「父と娘のガチトーク〜思春期の娘を持つお父さんに」なんて凡庸なタイトルだったら食指が動かないだろう。少なくとも私はそうだ。
著者はIT企業で働く、中学生の娘を溺愛する四十代お父さん(当時)。
父娘は小学生までは何でも話し、ベッタリ仲が良かったが、中学生になってからは手の平を返したように素っ気なくなり、会話もなくなる。何を聞いても「フツー」「べつに」
なぜなんだ?
ファーストフードの隣の席にいる女子中学生に話しかけて、奢るから30分だけ父親に対する気持ちを聞かせてくれないか、という衝動に何度も駆られる(通報されたら困るので必死に思いとどまる)。

ある日、晴天の霹靂、「お父さん、アタシ告白されたんだ」と打ち明ける。
お父さんはびっくりする。なぜ打ち明けたのが母親でなく、敬遠していた父親なのか。
それを機にお父さんの恐る恐るの発案で毎週土曜日の朝、コメダ珈琲で父と娘の三カ月にわたるマジトークが始まった。
初めはお互いに照れていたが、そのうち本音を語り合い始める。

最初は「お父さん以上にキモい人はいないね。成人男性全員がキモいんじゃなくて、お父さんが世界一キモい」

と言い放ち、お父さんを完膚なきまでに立ち直れなくする娘だが、ある時
「人間の生きる意味について」話し合った。娘の考えに感動し、お父さんは不覚にも涙を流しそうになるが娘の前では泣くまいと必死に堪える。テーマによっては双方とも目を真っ赤になりながら話し合うこともあった。

それからテーマは「夢と目標」「恋愛」
「長所と短所」「友情」「死」「正しい彼氏の見つけ方」などについて意見を交わす。

父親は娘のことを一番知っていると思いがちだが、話し合ってみて、新たな発見がいくつもあった。

最後に、ある時お父さんが読んでみないか、と勧め、娘が影響を受けた「偉人の名言集」から。

「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」


「何かを始めるのは怖いことではない。怖いのは、何も始めようとしないことだ」

マイケル.ジョーダン

「人の言うことは気にするな。こうすれば、ああ言われるだろう… こんなくだらない感情のせいで、どれだけ多くの人が、やりたいこともできずに死んでいくのだろう」

ジョン.レノン

娘はこの言葉を知り、勇気の大切さを学んだと言う。同時にお父さんの考え方、というか生き方というのも知る。
三カ月のマジトークが一応終了。父も娘もこの話し合いを通して互いをよくわかり、成長したことだろう。
ただ話し合いが終わり、表面的には昔と変わらなくなったそうだが、双方ともいつでも話し合いに応じれるという鍵を持っているという感覚になったそうだ。


リアルなメロン皮


もうひとつ、ついでに私の座右の銘
「一度も失敗したことがないという人は何事にも挑戦したことがない人だ」


惜しい


(管理人 マーキュリーマークからの伝言 いよかんと以下四は大違い。無論、4以下であったとしても3、2、1にも非ず。)

かえって吐…


取りにくい…


ライス大、お待たせしました。


落ち着かん


正解…?


ラメーン


A samurai is one who puts more into the world than he takes out.

osu


 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。