ビルマの休日 その15とその16(最終回)

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NO102 ビルマの休日 その15

at 2006 03/14 23:30 編集

「よかったらゴム工場も見ていきませんか?」
「見ていきたいんですけど、タクシードライバーと待ち合わせをしているのでもう行かないといけません」
「そうですか。もし帰りに時間があったら寄ってください。山へはホテルの前からバスが出てますから、それに乗っていけばいいです」 
チョウチョウさんは一緒にバスを待っていてくれた。
「もう一度日本に行きたいです。今度は仕事ではなくて、友だちに会いに行きたいです」
チョウチョウさんは十年間海外で働いていたことによって、今の軍事政権下では再び出国するのは難しいらしい。というか、私には政権が変わらない限り不可能なことのように思えた。
「あっ、バスが来ました」 
チョウチョウさんは手を上げてそのバスを止めた。バスといっても大型トラックを改造したものだ。車内は人が鈴なりになっているので、窓わくに足をかけて屋根にあがる。そこには既に学生や茶店の商売道具を抱えた少年たちが十人ほど座っている。
ミャンマーにまた来たときはここに泊まりに来てください」
「はい。ありがとうございました。お元気で!」
バスが走り出すと、朝の澄んだ空気が顔に当たって気持ちがいい。眼下には森が、彼方には山並が見える。こいつは香港やロンドンで乗ったダブルデッカーより比べもんにならんくらい爽快だ。俺は密林の王だ! なんていう勇壮な気分になってくるのは毎朝満員電車に揺られるジャパニーズ・リーマンの悲しき性だ。母さん、岸和田のだんじり祭りで毎年死者が出る理由が少しわかった気がしました。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
予定と提案は別物です。 出かける時には予定を立ててる人もいるとは思いますが予想を超える提案があったりもします。その提案に対して賛同するかしないかも旅の分水嶺ですね。
世界を見渡すと民主主義国家ばかりではありません。自由というものが制限されてる国や地域があって困ってる人もいます。
日本の深夜に運行してる長距離バスよりもミャンマーのオンボロバスの方がドリアン長野にとっては快適であったようです。
私は岸和田のだんじり祭りには平成10年代に何度か行ったことがあるからお伝え出来ますが個人的には事故に遭遇したことはありませんでした。場所によるらしいのですが危険を承知で彼等は行ってます。あれだけ巨大な木造建築を叫びながら動かすばかりか横転もあり得ますからね。少なくとも平成20年代は日にちが変更されたから行くのが難しくなりましたね。全国的に岸和田のだんじり祭りについては有名らしいが一方で信じようとしない人はいるかもしれないが以下の動画を確認してから各自でご判断してください。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。



 ホテルの従業員さんが日本語が話せるとやはり、安心感が全然違ってきます。私が滞在したカナダのホテルの従業員さんは非常に流暢な日本語を話されていて聞けば過去において日本で生活されたそうです。そのホテルの中で営業してるレストランでも日本で生活してた従業員さんがおられました。良いお仕事されたので非常に嬉しかったです。白人さんでも日本語が上手な人はいます。
困ったのはそのホテルのロビー(受付)で勤務してた人物の近くにいた日本語が上手な観光客なんです。彼女はじゅう信房子みたいな性格で無礼者であったから「公共の敵が私に対して嫌味を言ってる。」といった発言をしたら顔が歪んでました。レストランの中の従業員さんも日本語が上手でしたが英語で伝えましたが「ある日、アメリカ人女性を見たら口ひげが我々よりも長めであった。 One day , I met american girl , her moustache longer than us .」と発言してお隣さんを爆笑させかけました。だが、カナダ人の従業員さんは爆笑しなかったですね。
今となっては口ひげが長い女性を見かける事はよくあることだと思います。だけど、4cm以上は少ないかな?
 皆様が海外でバスに乗るならば、前もってちゃんと調べてから乗車してください。平成20年代になると、グーグル等で簡単に調べられます。日本よりもバスに乗って目的地に到着するのは難しいと思って対応されることを推奨します。
 ドリアン長野が大型トラックを改造したバスとは日本でいう所の4ドアのダブルキャブだったかもしれません。
 私もある意味、カナダでは二種類のバスに乗りました。前者は日本の旅行代理店に依頼した空港からホテルの送迎バス。バスというよりも、屋根付きのフルサイズバンです。
後者はブリティッシュコロンビア州の公営バス。ある意味、一般的でした。無論、日本と違ってカナダは左ハンドルなので出入口は日本のように左側ではなくて右側から出入りしました。
だが、ミャンマーの場合は日本製の中古バスが多く利用されてるようですのでそのバスの出入口が右側なのか左側なのかは不明です。日本以外の国から輸入された中古バスが混在してミャンマーで利用されてる可能性はあり得ます。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

次回が最終回です。

NO103 ビルマの休日 その16

at 2006 04/07 22:17 編集

バスはやがて山の中腹に着いた。待ち合わせていた食堂で朝食(もちろんカレー)を食べていると、タクシードライバーのソーパーさんが現われた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
私は山頂のホテルに泊まれなかったこと、ひょんな巡り合わせからリゾートホテルに泊まった顛末を話した。
「それは面白い経験でしたね」
「ソーパーさんはゴールデンロックまで登ったことがありますか?」
「一回だけね。もう二度と登りたいとは思いません」
ソーパーさんは本当にうんざりとした顔をした。
「さて、そろそろ行きましょうか」
タクシーがチョウチョウさんのホテルの近くに差し掛かった時、一台のバイクとすれ違った。チョウチョウさんだった。はっとしてバックミラーを見るとあっちも気づいたらしく、Uターンしているところだった。
「ちょっ、ちょっと止めて下さい」
「どうしましたか」
「あの人がさっき話したホテルのマネージャーです」
チョウチョウさんが追いついてきた。急いで窓を開ける。
「今から帰るところですか。これからゴム工場を見学していきませんか」
「ソーパーさん、少し時間ありますか」
私がそう言うとソーパーさんはビルマ語でチョウチョウさんに何か話しかけた。おそらく、「残念だけど、今日中にヤンゴンに戻らないといけないので無理だね」とでも言ったのだろう。
「そうですか、仕方ありませんね。またミャンマーに来た時にはホテルに泊まりに来てください」
チョウチョウさんはまた同じことを言った。
朝五時。あたりはまだ暗い。通りに小さな火が揺らいでいる。屋台の準備のために早朝からカンテキに火を熾している老夫婦。ここにも生活がある。そんなことがなぜか胸を突く。もう少しで夜が明ける。ヤンゴン市内にまた喧噪が戻ってくる。MDプレイヤーのスイッチを入れる。
「ヘッドフォンを耳に充(あ)てる
アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切な過ぎる
涙を誘い出しているの?」
レディオヘッド」のアルバムにも引用された椎名林檎の「茜さす 帰路照らされど...」の一節。私は旅先で聴くとその切なさと激しさに涙ぐみそうになる。通りをこのまま歩いていくと川に突き当たる。インド洋に繋がるヤンゴン川へと。今日はイギリス植民地からの独立記念日だ。
「今の二人には確かなものなど何も無い
偶(たま)には怖がらず明日を迎えてみたいのに」
旅をする気持ちに少し似ているかもしれない、と思う。もうすぐ夜が明ける。(終わり)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
長かったビルマの休日も今回で最終回です。ドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記でもあります。
ミャンマーに滞在した最後の日が英国から独立した記念日だったようです。
ゴールデンロックへの訪問は重労働だったようで誰一人として安易に赴けるとは考えないようです。
海外旅行に行くと必ず会話が必要になってきますね。それが日本語である確率は低いが、過去において日本で労働されてた外国人が母国に帰国後、日本語を流暢に喋れる人もおられる例外もございます。
MDの役割はほぼ終わりました。一応は平成10年代末期に多くの家電メーカーが製造販売を辞めて平成20年代になるとどこのメーカーも新規では製造していないそうです。技術革新の影響はございますね。繰り返すようですが、この海外旅行記は平成10年代の旅行記ですのでその部分を理解した上でお読みいただければ幸いです。
日本国内でも午前5時であれば駅へと向かう人がおられますね。夕方五時以降も同様ですね。
 夜明けと同時にドリアン長野のビルマの休日は終了です。

 ドリアン長野はこのビルマの休日の執筆が終わった後、ネパール旅行記インド旅行記(リターンズ2.0版 前編 後編)、ロサンゼルス旅行記等にドリアン長野自身が加筆修正を加えた海外旅行記を発表した後でgoo簡単ホームページ並びにgooブログ上の新規投稿を取りやめてフェイスブック上で新規投稿をするようになりました。
色々と考えた結果ですが、平成10年代からブログの管理人をしてるが平成20年代になって頻繁にフェイスブック上の新規投稿を転載してきましたが平成30年の元旦以降は転載する回数を削減することを考慮してます。微細な変更は平成30年3月末日迄に終えたいと考えてます。
ネパール旅行記とロサンゼルス旅行記の両者に限ってはすでにリターンズ2.0が出来上がってますのでもしも、興味があればそちらを楽しんでください。ご存知の方も多いでしょうしこの海外旅行記を読まれた方の中にも行った方は多いとは思われますがドリアン長野は米国のロサンゼルスからメキシコのティフアナに行ったそうです。一度の海外旅行で二か国以上訪問する人はおられます。
平成18年に発表されたドリアン長野自身が加筆訂正を加えたインド旅行記(平成18年に行った特別版)に限っては内容がほぼ変わらないから重複してると考えたので文章のみの転載とさせていただきます。
このビルマの休日以降で発表された海外旅行記は未完の大作になってる【夏が来れば思いだす】 平成29年です。実質的に半ば唯一の例外で長野夫妻の新婚旅行のお話です。私とドリアン長野が平成29年の7月に再会した時に「続きを書いてください。」と伝え「分かった。」と返答されたが未だに執筆は行われてません。強要は行えないから仕方ないと考えてます。
 それだけではなく、さすがに中長期的というか5年後や10年後以降もこのように頻繁にブログの新規投稿をするのは難しいと私は考えてます。その気持ちを伝えたらそれなりの了承を得ました。趣味の領域ですので自由です。今後は可能であれば転載するにしても厳選します。また、優良なホームページの紹介も行う予定です。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行を楽しんできました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。単純に「ドリアン長野が平成18年にミャンマー旅行が行えて良かったね。」と考える程度で十分なんです。
 今回のこの作品は実質的な最終回です。なぜならば、ドリアン長野が独身時代に行った最後の海外旅行だったからです。
 半ば余談ですが、平成10年代にはgoo簡単ホームページが存在してました。それが終了し事実上の後継が、gooブログです。平成10年代末期のある日、直に再会した時に今後はどうするかについて語りました。何も事情を知らない人々が横やりを入れて話し合いの妨害をしてきて困った事を連想します。ドリアン長野にしたら目標であった一万人の閲覧者を達成した事もあって平成10年代末期には情熱がほぼ失われてました。周知のように平成10年代のgooから平成20年代になってフェイスブックに切り替わりました。結果的に転載等について私がやっていくことになりました。過去に私は国内旅行だけをしてきた人の観点から感想文と皆様への伝達事項を付加して伝達(発表)してました。それがリターンズです。
 所が転機がございました。私は平成27年10月にカナダ旅行をしてきました。そして、画像や映像を記録し帰国後に発表しました。
そこから気づいたんですが、ドリアン長野の海外旅行記にも画像や動画を加えるとどうなるか?それらをリターンズ2.0として発表することにしました。そして、終了しました。平成29年ということもあって、ドリアン長野が行ってきた海外の様子を録画した動画は多く存在してました。
 今後も何等かの政変が発生する恐れはございます。
予想を超える出来事が発生しかねないので海外旅行にはカントリーリスクが存在していることをご理解ください。
 皆様がもしも、海外旅行をされるならちゃんと準備してから行ってください。影響を与えることが行えても責任はとれません。
少なくとも、パスポート、(必要であれば)ビザ、ホテルの予約、航空券又は乗船券の予約、海外旅行保険等は必須です。
また、海外旅行をされてる人にインターネットを通じて詰問することが無いようにしましょう。なぜならば、安全に関わるからです。罪悪感が欠落した不要な質問は後に責任が問われることになりかねません。海外旅行中に質問することを妨害する点については否定的に感じる人はおられるかもしれませんが、実際に、海外旅行中の日本人が辛い思いをしたお話は多いそうですのでその現実を理解してください。 外的要因の問題と言っても、情報を誰が伝えるか?偽善者がやらかす悪事は多いです。加害者が被害者を偽装することは数多い。本人が自発的に伝えるのではなくて、フェイスブックのタイムライン上で詰問してくるし頼んでもないのに余計なことをやってきたから強要にも思えました。
 海外旅行中に外部の人間が悪さをするから警戒してください。ただ、その悪事をやらかす人がフェイスブックを通じて情報を得たかもしれないので警戒してください。質問者が悪人の場合はあり得ます。相手の立場を尊重しない悪人はいます。呆れる位に悪口を言い続けて喜んでる悪人がいて、事実上の制裁が加えられた先例がございました。
 色々とそれなりの制限はあるが、基本的には海外旅行で楽しめる部分はある点も伝達します。
実際に海外旅行に一回でも行くと「海外旅行に一回も行った事が無い人がなんで海外旅行記のブログの管理人をしてるんですか?」と言われることはなくなったがそういった発言をした人物があら捜しのために詰問の道を選択したのかな?羞恥心が欠落してるのか?
 実際に私はカナダに行ったから言えますが、役に立つ衣服を購入し、美しい公園に感動し、おいしいピザやメープルシロップをかけたパンケーキ等の食事が行えて良かったです。


 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。