【夏が来れば思いだす】 ヤフーブログ版


【夏が来れば思いだす】 その1

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコク九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

【夏が来れば思いだす】その2 

妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。(*1)旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。
*1 スワンナプーム国際空港(BKK)は平成18年
(2006年9月28日)に開港した国際空港で長野夫妻は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行されたようでその時の出来事を執筆されました。

【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年(平成22年)以前に行ったバンコクへの新婚旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、平成25年(2013年)にフェイスブック上で発表された長野夫妻の新婚旅行を転載します。時期は平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始でバンコクと香港を旅した未完の作品で旅の試練は謎のままです。(後述しますが平成30年の夏の日に謎が解けました)
平成29年(2017年)7月の某日にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得たが平成
30年(2018年)の元旦を経過しても執筆はされてません。インラック政権が平成25年1月に最低賃金を引き上げた影響は大きいようでタイの物価は値上がりし老後を過ごすには不向きらしいです。平成18年に開港したスワンナプーム国際空港の空港連絡鉄道
(エアポート・レール・リンク)は通勤に利用出来ても
観光は不向きだそうです。利用出来るようになったのは平成22年(2010年)8月23日からなので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。
誤解無きように明確化しておきますが、スワンナプーム国際空港は平成18年に開港しました。
ドリアン長野は平成25年に発表した【夏が来れば思い出す】その3の中で「早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。」と執筆されました。
人によったら「何が去年だ。私は2010年(平成22年)以前の2006年平成18年)から2009年平成21年)の時期にBKKことスワンナプーム国際空港は何度も
利用したから間違いに感じる。」と曲解されるかもしれません。長野夫妻がタイランドへ旅したのは平成19年の年末から平成20年の年始であったので便宜上(?)
去年と執筆されました。そういう訳で皆さん、過去のタイランド旅行記という点はご理解ください。
奥様の海外旅行記も佳作でした。奥様の海外旅行記は別なんですが、ドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考え脱力してお読み下さい。日本とタイの仏教徒は相互に修行僧が行き来してるようです。
平成19年の夏にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちが失せていて平成20年
以降は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてます。
繰り返すようですが、平成25年になってから平成19年の年末から平成20年の年始にかけて行われた今回の旅行記をドリアン長野は執筆しました。
平成十年代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言され、後にその目標は達成
された。
続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは不明で夫婦の海外旅行記は平成30年一月現在、未完の作品であり、実質的な最終話です。
ドリアン長野は1961年3月5日生まれで、26歳の時にインドに旅したならば、1987年こと昭和62年か翌年に
行われたインド旅行をしてます。
平成20年を連想して20年前ならば、1988年こと昭和63年頃になります。
インド旅行が最初の海外旅行で気に入ったのはタイランドバンコクへの旅行であったようです。


管理人 マーキュリーマーク

追記 平成30年7月末日
謎が解けました。機会があり、ドリアン長野の奥さんと再会しました。「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。
事実上、これで完結かな?
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。