渡航回数と訪問した国々の数 令和三年九月

渡航回数と訪問した国々の数が異なる人はおられる。
ドリアン長野は15か国赴きました。順不同ですが訪問国を列記します。
 タイ、英国、メキシコ、台湾、米国、インド、フィリピン、
カンボジアベトナム、ネパール、マレーシア、ミャンマー
韓国、香港と中国。

ソウル(韓国)のように訪問はしたが旅行記は執筆してない前例はございます。直行便を利用して海外旅行しただけではなく一度の渡航で二か国以上訪問する人はおられる。メキシコへは米国から陸路で赴いてます。
同じ国へ複数回訪問する人はおられます。ドリアン長野は上海(中国)へは二回赴き、香港は三回赴き、タイ(バンコク)へは少なく見積もって十回は赴いてます。
結局は渡航回数はおよそ20回以上のようです。


ロサンゼルスとティフアナ旅行記より抜粋
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。 「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。 「え”?メキシコに行けるの?」 「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」 メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。 「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」 「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」 というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。


経由便や乗継便を利用された旅行者は多数おられる事から渡航回数と訪問した国々の数が異なる人はおられます。
恐らくですがドリアン長野はカンボジア旅行も二回行ったようです。
どこかの誰かの訪問した国の数と渡航回数は令和三年現在カナダのみで渡航した回数も一回だけです。
米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ、そしてカナダのレインクーバーの三者は同一の時間軸です。
平成29年の夏の日に「ソウル旅行記は執筆しないの?」と質問したら微笑みながら否定的であったように思います。強制は出来ませんので仕方ありません。もし、ニューヨーク旅行の前にソウル旅行をしたならば平成元年のゴールデンウイークか夏休みに旅立ってたか?


【夏が来れば思い出す】その1より抜粋
今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイプーケットも行ったことがない。

カンボジア~ その1からの抜粋
なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。


確かにタイランドだけで10回ほど行ったという主張はございましたが、直行便の利用だけでなく陸路で国境越えをした前例(米国からメキシコ)や経由便や乗継便で旅した前例もあるようなので実際の渡航回数はおよそ20回以上ではないでしょうか?カンボジアからタイランドバンコク)へ行きそこからフィリピン(マニラ)に到着してから日本への帰国便を利用した過去もあったそうです。
ちなみにカオサンはタイランドバンコクでは有名な街です。

敬具 管理人マーキュリーマーク

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダブリティッシュコロンビア州編

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。