令和四年三月の投稿


「今年はひな人形出す?」
「うん」
「 それじゃあ手伝ってね」
妻と娘の毎年の会話だ。そうはいっても最近はめんどくさくなって出さないことがほとんどだ。
娘が生後半年の時。
めったにない父からの電話。二月の雨が降っていた日。父から平日の仕事中に電話がかかってきたのは初めてだ。何事かと身構える。
すると照れたように、雛人形は梅原家(妻の実家)が買ったのか?と。いいや、と言うと、それじゃあ、送る、ともっと照れたような声。
数日後に米子の「人形のウエダ」さんで買った立派な雛人形が届いた。
店主の上田さんから「お父さんが来られて熱心に見てましたよ」とのメール。
少ない年金の中から、迷いに迷っていたのだろうと驚き、もったいなくもあり。毎年出す度に照れた声を思い出す。
そうだ、父は照れ屋で不器用だった。無愛想なのもそれが一つの原因だろう。
今年は母と同居したので父を思い出すためにも出そうか。
「はうらつにたのしく酔へば帰りきて長く坐れり夜の雛の前」
宮柊二
僕は酒を飲まないけど、この男の気持ちはよくわかるなあ。

Moscow underground. Sometimes the act of resistance doesn’t have to be loud or bold, it just has to be.


カレー屋バンバン
今まで50軒ほどカレー屋さんに行きました。
美味しいことは美味しいのですが、感動することがなくなってきました。
ところが「カレー屋 バンバン」に行ったときに…
同じお店に二回行くことは滅多にないのですが、久々の来店。


チュンバ(サラダ)
ライタ(ヨーグルト)
アチャール(漬物)
チャトニ(チャツネ)
パパド(インドせんべい)
が一つのプレートに収まっています。
チキンカレー、豆とアサリカレーのあいがけ。
特に向かって右のアサリカレーが絶品でした。
毎日食べたいくらいですね。
具だけではなく、出汁にもアサリを使っているのでしょう。
大阪のスパイスカレーでは一番美味しいと言う人も結構います。
スーツケースを引いて食べに来ている人もいました。

裏なんばから阿波座に移転しました。

二階です。
窓側からは公園が見えます。

春うらら
子どものスイミングのお迎えに自転車で家を出る
心地よい風
温かい日差し
こんな日はvance Joyの「Don't fade」がいい
I wish you could see what I see when I'm seein' you
No one can do what you do when you get me through
Forget about what's goin' on outside
People say that nothin' gold can stay
We can be the light that, don't fade
「僕が君を見るときに見えるものが君に見えたらいいのに
君のおかげで僕は乗り越えられた
世界で何が起こってるかなんて忘れよう
永遠に輝く物なんて無いと人は言うけど
僕たちは消えることがない光にきっとなれる」
公園では親子が遊ぶ
工事現場ではおにいさんが陽だまりの中で休んでる
空はあんなに青いのに
日差しはこんなにも温かいのに
父は戦いに出かける
子どもが泣き叫ぶ
3月9日タラス・シェフチェンコの誕生日
市民は国民的詩人の銅像の前に集まり、彼の詩を叫ぶ
「邪な敵が笑うとも
長くは続くまい
全ては滅びるとしても
栄光は滅びない
滅びはせずに
語るだろう
この世で何が起きたのか
真実と悪が
誰のものなのか
私たちが誰の子なのかを
私たちのふるさとの歌は
決して滅びることなく
永遠の命を持つだろう」
戦えば人は死に
戦わなければ国は滅びる
世界で何が起こっているかなんて忘れよう
早くそんな日が来ればいいのに


「ロッキン.オン」創始者の一人、松村雄策さんが12日に亡くなったと知った。
彼はビートルズ、特にジョンレノンに人生を変えられたと言うほどの信奉者だったが、「イマジン」なんかくそっくらえだと言っていた。
彼は愛と平和の人なんかじゃない、狂気の人なんだ、と。
僕もそれには首肯する。高校生のとき、レコードは三枚とも持っていた。
ファーストアルバム「夢のひと」収録の「あなたがわかってくれなかったから僕はとっても悲しかった」はキングクリムゾンの「エピタフ」にコード進行が似てると思った(名曲です)。
彼が好きだったドアーズやジャックス、僕も好きだった。彼の部屋にはこれが70歳の部屋とは思えないほどビートルズのポスターが貼ってあったという。


10年前から資料を集め、5年前から書き続けているファミリーヒストリー
参考にした本は100冊を越えた。可能な限り正確なことを書きたい、と文献を渉猟し、図書館にも何度も足を運んだ。
調べているうちに地元に関係する作家、映画監督、女優のことも書き残したくなり、現在原稿用紙300枚近くになった。
実際に会い、又は電話やメールでインタビューさせていただいた人は20人ほどになった。
その人たちには本当に感謝しかない。
様々なことを知るにつれ、自分のアイデンティティが明確になり、祖先と故郷に感謝することもしばしば。
今年こそは完成させたい。
後に続く子孫が何かを感じてもらえば、という沸々とたぎる情熱で今日もパソコンのキーボードを叩く。

午前6時



大阪市立中央図書館裏には土佐稲荷神社があります。桜の名所であり、かつては土佐藩邸があり、岩崎弥太郎邸跡があり、堺事件の責任者として切腹させる16名を籤引きで決めた場所でもあります。

花曇り

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。