父のことは看護師の妹が横浜の父のUR住宅で看護している。
生きているうちに父に会ってやって、という妹の呼びかけで僕と京都から弟家族が集まった。
帰る時に弟の子どもたちがさようなら、と手を振ると、呂律の回らない父が
「もっと大きく手を振れい」
と絞り出すような声ではっきりと言った。
それを聞いてみんな泣いた。
あとで弟が「俺は親不孝やった」と言った。
何年もかけて書いた家族歴史を父に渡した。
70ページほどになった。
父が読めるかどうかはわからない。
最後に百田尚樹の著者から引用した文章で締め括った。
「『社会的成功』を遂げた人が人生の勝利者であるわけではありません。
それが究極の幸せでもありません。そんなものが得られなくても、幸せはいくらでも掴めます。
それは決して敗者の負け惜しみではありません。
私の父は高等小学校を卒業して働きに出て、途中、戦争に行き、戦後は職を転々とし、
七十歳近くまで安い給料で働き続けた人生でしたが、見合い結婚した母と仲睦まじく暮らし、
二人の子供を得ることが出来ました。不肖の息子(私です)が悩みの種でしたが、晩年は幸せそうに見えました。
ある日、父がぽつりと言った言葉が忘れられません。
『いろいろあったが、いい人生やった』
私は、父は人生の勝利者であったと思っています。」