ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ 平成30年3月

退院した父と実家で食事中、急に父が言った。
「おまえ、結婚してよかったなあ。子どもができてよかったなあ。あんな笑顔のかわいい子はおらんぞ。育子さん(嫁)に感謝せんとあかんぞ」
驚いた。父は商売をしているが、およそ商売人としては似つかわしくなく、無愛想で偏屈な人間だ(友人や近くの商店主からもよく言われた)。人の悪口や陰口も言わない代わりにお客さんに愛想を言ったことも人を褒めたこともない。
僕は三人兄弟の長男だったこともあったのだろう、特に厳しかった。体罰はしょっちゅうだった。そんな父に反発し、中学生の頃から口をきかず、ずっと家を出たいと思っていた。高校を卒業し、一人暮らしをしてからも何年も帰らなかった。ある年、久しぶりに(嫌々ながら)帰省したときに父が言った。
「ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ」
初めて聞いた父の愛情表現だった。
父が10歳のときに広島で被爆したことを人づてに聞き、去年父と向き合いじっくりと話を聞いた。二日間で四時間くらい話をした。まるでそれまでの父との空白を埋めるような濃密な時間だった。
生後半年の弟を膝に置いてあやしている時に閃光が目に入り、思わず首をすくめた瞬間に弟が爆風で吹き飛ばされ、瓦礫の中で泣き声がしていたが、やがて聞こえなくなったそうだ。母親は奇跡的に助かり、半年後に再開したそうだが。
「がんばれ元気」に出てくる秀才の岡村くんは元気が嫌いだった。勉強しか取り柄がない岡村くんは元気に嫉妬していたのだ。ひょんなことから岡村くんが決闘を申し込む。殴り合いをして、と言ってもボクサーを目指す元気はグローブをつけて左のジャブだけで闘ったのだが。それでも相手に失礼だと手加減はしなかった。それから二人は親友になる。
元気は幼いときに両親を亡くしている。
大山総裁の「極真精神である、『目は高く、頭は低く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する』の孝とは親孝行のことだよ。親というのは子どもを見返りのない、無償の愛で育ててくれる。それに気づかなければ駄目だよ。親孝行しない人間は私の弟子ではないよ」の言葉を思い出す。正月も帰省しよう。父は80歳、母は83歳、もっと話をしよう。生きているうちに。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。