#14 カオサンの大晦日(リターンズ)

 カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。泊まったのは通りの中ほどにある「カオサン・パレス・ホテル」だ。あるガイドブックにも書いてあるようにサービスは良くない、っていうかレセプションの人間はやる気が全くないぞ。思わずここは中国の旅社かと思っちゃったぜい。ツインしかなく、おまけにエアコンは壊れていて530バーツもした。唯一の取り柄はNHK放送が受信できるってことぐらいだろう。   
その日はバンラ-プ市場とパトゥ-ナムをうろついた。タイ人にとって正月はタイ暦の4月だし、中国系タイ人にとっても正月は2月ぐらいだから街は普段と変わらない。しかし、だ。7時頃に行ってみるとマーブンクロンの前には特設ステージが出来て、歌謡ショーとファッション・ショーのようなものをやってるし、ワールド・トレード・センター前のラチャーダムリ通りはホコ天になっていてすごい人だかりだ。こりゃあ、何かあると踏んだ私は鼻息も荒くカオサンに戻ったね。お祭り好きの私はじっとなんかしてらんねえよ、江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ。今日は特別な日だからってんで、奮発してコンビニでケーキを買って(といっても28バーツだよ、べらんめえ)、ホテルに帰ったと思いねえ。シャワーを浴びて、WTCで買ったヤイコのテープを聴いてじっと待ったさ。格闘家が試合前に音楽を聴いて精神を昂揚させるのと同じだな。そういえば日本でも大阪城ホールヤイコのカウントダウン・コンサートが始まってる頃だ。とにかく気力、体力ともに充分だっ! 11時になると私は鼻の穴を通常より3センチばかり拡げて、フガフガとホテルを出た。
最近のカオサンは渋谷化状態していて、タマ大の学生や地元のバンコクっ子が大挙して遊びに来てるよーだ。これもデカプリオ主演の「ザ・ビーチ」のおかげか? とにかく尋常じゃない人だかりだ。私は表通りや裏通りをうろうろしてカウント・ダウンを待った。私の泊まっているホテルの前にはオープン・レストランがあって、テーブルが道路の半分を占領している。必然的にそこが一番、混雑率が高くなるってわけだ。地元の人間やら旅行者やらがくんずほぐれつ、盛り上がっている。
こら~っ、ビールをかけるんじゃないっ! わしは野村監督かいっ!(野球が嫌いなので去年はどこが優勝したのかも知りません)耳のそばでラッパをプープー鳴らすなっ! 人ゴミの中で踊るな~! 喧噪の中でもみくちゃにされるうちに何が何だかわからなくなってきた。ふんがぁ~。私はタイムズ・スクエアやトラファルガー・スクエアでも年越しをしたことがあるが、てめえらみたいな脳天気なやつらは初めてだっ! 白人どもっ、たかが新年になるだけなのに何でそんなに興奮するのだあ! そのうちレストランから流れてくる「オアシス」に合わせて白人どもが大合唱を始めた。薄れてゆく意識の中で私は思った。2000年に欧米人が連帯できる音楽って、やっぱりオアシスなのね。らぶあんどぴいす.....。「VSゲストハウス」の連中はこの時間、やっぱり新年を祝って一発キメてるんだろうか.....。ヤイコのコンサートのアンコールは何だったんだろう.....。「グレース・ホテル」のアラブ人たちは盛り上がってんだろうか? あっ、イスラム教は陰暦かぁ.....。いろいろと世話になったな、タイ人。お前たちのこと好きだけどな、最後に言わせてくれ、「マイ・サイ・パクチ~.......」(注) 
しっかりしろ、おれっ! 目を覚ませっ! これじゃあいかんと思い、ホテルに帰ろうとしたが、ベルリンの壁より分厚い人壁に阻まれ、目と鼻の先にあるのに帰るに帰れんじゃないかっ! みなさ~ん、よいこは早くおうちに帰って寝ましょう~って、結局やつらは4時まで騒いでたぞっ、バカヤロ~!!(爆死) 

注 「パクチーコリアンダー)を入れないでね」 
 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 平成10年代の海外旅行記です。 平成20年代のプロ野球界の野村監督と言えば、本当に二名以上いますね。 イーグルスか、カープかについては、ご想像にお任せいたします。 そういえば、野村克也監督は鳥のチームを率いていた時には、強かった。2010年代にNPBの現場の監督としては復帰はしない見込みです。
カープ出身の、後者(野村謙二郎氏)はこれからどうなるのであろうか?平成26年というか2014年にクライマックスシリーズに出場を果たしたのは立派でした。2015年にボストンレッドソックスの臨時コーチに就任されたのは周知の通りです。
野村謙二郎氏の今後については各自でお調べください。
今回の海外旅行記で伝えられている去年とは、2000年(平成12年)であれば、いわゆるON対決(ホークスの王監督ジャイアンツの長嶋監督)でした。2001年はスワローズ対今は無き大阪近鉄バファローズの対決でした。
大阪近鉄バファローズが、最後に4回目のリーグ優勝を果たしたのは、2001年でした。
タイランドへ遊びに行ったが結果的に、人ごみで苦しんだお話しのようです。本人自身があらかじめ覚悟をしていたがやはり、苦しんだといった内容です。
人によっては、こういったお話しを確認されてから、どこに行くかを考慮されるかもしれませんね。 
中途半端な宿よりも、暑いタイランドであっても安心して過ごせるようなホテルの選択が必要なんでしょうね。 
やはり、注目すべきは外国によっては習慣が違う人々を尊重し休む時期が異なっている場合があるようですね。 日本の場合は、基本的には一種類ですからね。 こういった点を考慮して海外旅行をしないといけないかもしれません。ただ、海外の午前4時って日本時間だと日中になる可能性もあるのかな?一応、タイランドと日本の時差が二時間で日本の午前2時がタイランドの午前12時だそうです。日本時間の午前6時迄暴れてた人がタイランドにはいたのかな?
一月に大晦日の話というのに抵抗があるかもしれませんが、ある意味、再放送のようなものですのでご勘弁ください。 昨今、再放送は多いですね。今後も似たような状況は継続します。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。