令和四年九月の投稿


40年以上前にエリザベス女王を「She ain't no human being.」と歌ったジョニー・ロットンはテディ・ボーイズと呼ばれる集団に地下鉄で刺されたが、厚手のコートを着ていたので助かる。
福岡で生まれたブレイディみかこピストルズに傾倒し、渡英。
アナーキー・イン・ザ・UK」の影響で高校時代から大杉栄の論文を書いていた彼女は大正天皇と皇太子の暗殺計画をしていたとされる朴烈と金子文子を書いた『女たちのテロル』と『両手にトカレフ』(これはベストセラーになった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の裏バージョンと言っていい)を上梓。
文子は獄中で自殺。22歳だった。朴烈は恩赦になり、転向した。
田舎でピストルズを聴いた高校生の僕は大逆事件で刑死した幸徳秋水無罪論を答案用紙に書き、日本史の教師に呼び出された。
高知に行った時には秋水の生地であり、墓がある中村市(現四万十市)まで行ったことがある。
そののちにロンドンに行ったが、パンクスは既にいなかった。
あれから40年か…。




「娘が大好きな池上彰さんと娘が大好きだった父」

小4の娘は大の池上彰ファンだ。
土曜日に起きてくると、今日池上彰のテレビある?と聞く。
ない日は意気消沈する。今年の誕生日プレゼントは池上彰さんの本が欲しいと言うので買ってやった。
池上ファンクラブがあれば入会しそうだ。
その池上さんを目の前で見る機会があった。
三年振りに一般の人を入れての広島平和記念式典だ。父が10歳のときに被爆しているし、一周忌なので初めて参列した。
早めにホテルを出て平和記念公園に行く。

遺族の一般参列者として応募していたのだが、応募多数で抽選に漏れていた。

市の職員が2メートルおきに立っていて会場をガードしているが、人波にまぎれて会場に入る。
ウロウロしているとスタッフが近づいてきて「遺族関係者の方でしょうか」と聞かれた。
あ、いえ、応募したんですが抽選に漏れてしまって…。
と、へどもど。
会場の外に出てウロウロしていると(ウロウロが趣味なのだ)、川のほとりに煌々と二本のライトがついている。
近づいてみるとテレビモニターが台車に乗っていて、その前に座っている男性をインカムをつけたスタッフが汗を拭いたり、飲み物を差し出したりとお世話している。
男性は小柄で老齢だが背筋をピンと張って、凛とした雰囲気だ。ん?どこかで見たことのあるような…。あ、あのちょっと下唇が突き出ている顔の特徴は池上彰さんではないか。
朝の情報番組で生中継するらしい。
今日は土曜日だからまだ寝ていると思うが、娘に教えてやろうとスマホを取り出し、だがしかし、広島に来る途中に電車内にスマホを忘れてしまっていたのだ。
せっかくの千載一遇の機会をバカバカ。
せめて写真を撮っておこうとスマホを…
だ〜から。
傍らには高校生平和大使の大内由紀子さんがスタンバッている。スタッフに髪や服装をセットされているうちに彼女は泣き出した。目は真っ赤になっている。
憧れの池上さんと共演できるという感激からなのだろうか。スタッフが集まってきて声を掛けられていると涙が止まり、落ち着いてきたようだ。
進行役のアナウンサーと池上さんがスーツのジャケットを羽織る。この日もうだるような暑さ。
番組では事前に収録された大内さんと鈴木福くんとの対談も放送された。
大内さんは池上さんの質問にも落ち着いて答え、平和大使としての活動をしっかりと伝えていた。
収録後、池上さんが「素晴らしかったよ」と肩を叩く。
私といえば、娘にアピールするために画面に映りこもうと何度か試みるが、テレビクルーに「そこに行かないでください」と注意される。
あとで先輩クルーに、おまえ、人が映らないようにしないと駄目じゃないか、と怒られていた。
ごめんなさい。
しかも帰宅してから娘に言うと、観てなかったらしい。
撤収する池上さん。その時、紙と筆記用具を持っていたら必ずや追っかけてサインをもらっただろう。
娘は「何でうちの子どもは池上彰さんのファンですって言ってくれへんかったん?」と悔しがった。
父は娘を可愛がっていた。目に入れても痛くないとはまさにこのことだと思うほどだった。
多発性ガンの末、亡くなったのは娘の10歳の誕生日の朝だった。
看取った妹はきっと亡くなった日を忘れないようにしたんだろう、と言った。
しばらくしてから父が娘のために池上彰さんと会わせてくれたんじゃないかと思うようになった。
牽強付会かもしれない。
でもそう思いたい。

教育、しつけというのは強制力が伴います。
強制、矯正が可愛そう、子どものアプリオリな資質を信じるという大義名分で育てられた子どもが将来、コクトーの言うが如くアンファンテリブルとして社会に出るということはその人個人にとってはもちろん、結婚したら伴侶や家族も不幸になるということは火を見るより明らかです。
モンスターペアレンツなどの事例を知るにつれ、悪しき親から子への連鎖が続いていると感じます。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。