令和五年八月末期と九月の投稿


小六の娘は来年中学受験をする。
8月末に志望校のオープンスクールがあったのでモチベが上がると思い、娘と行ってきた。

駅を降りて学校に向かう。われわれは二部に参加するのだが、一部を終えてすれ違うお子たちは誰もかれもがかしこに見える。
受付は先生と生徒が一組になってテキパキと来校者をさばいている。さすが自主独立を謳う学校だ。
名前を言うと模擬授業のクラスを告げてくれる。われわれは社会科のクラスだった。
この学校はネイティブが英語で授業するというのがウリであり、本人も英語の授業を希望していた。しかし英語だけ3クラスあったにもかかわらず既に満席。
ちょっと損したような気分で教室へ。
どうやら子どもと一緒に保護者も授業を受けるらしい。
参加者は保護者も入れて30人ほど。
授業が始まり、30代後半と思しき先生が「テストをやってみましょう。ある大学の入試問題です」とプリントを配る。
問題は「東アジアの地図が①②③あります。古い順に並べなさい」
地図が3種類。①は日本が北海道と本州という区分もない、団子のような一つの島となっているから①が一番古いのは間違いないと思う。
②③は一応区分されているのだが、正確さは甲乙つけ難し。支那大陸も似たり寄ったりだ。うーんと悩んで適当に書いた。
制限時間の三分が経ち、先生が説明する。
「地図の違いを口で説明するのは難しいですよね。国土の形とか。でも数字というのはどの国でも同じです。
1は日本でもインドでもヨーロッパでも1です。そして受験生の中にはよく問題文を読まずに試験に取り組む生徒がいます。
この問題文には『時代を経るにつれて情報量が増してきます』と書いてあります」 あ、その文章を深く考えずに読み飛ばしてた。 「もし私たちがいる日本の位置を説明するとしたらどうしますか。数字で表すことが一番正確です。
日本の国土は, 経度でおよそ東経122度∼ 154度の間、緯度でおよそ北緯20度∼46度の間に位置しています。
①の地図には緯度線、経度線がありません。②は緯度経度線が引かれていますが③になるとその数が増えています。これに気づいたら30秒で答えはわかります」
そうか、『時代を経るにつれて情報量が増してきます』は大きなヒントだったのか。
それに加えて数字ということ。
時々娘の塾の算数問題をやってみるが、かなりの難問である。苦心惨憺しながら取り組んでいるうちに、ふと思った。学問の基礎は数学ではないだろうか。
ギリシャ哲学は数学から派生したという。デカルトピタゴラスアルキメデスらは数学者で哲学者であった。
物理学、天文学、化学、生物学などの自然科学はもちろんのこと、文章を書くことも読むことも論理的思考が必要だ。数学には数理論理学という分野もある。
大学の英文法の先生は「英語は数学などとは全く違う学問です」と言っていたが(コミュニケーションとしての学問と言いたかったのだろう)、 英語も日常会話レベルではなく、ディベートになると数学に行き着くはずだ。
先生はこうも言う。
「うちの生徒と口喧嘩しても絶対に勝てません。なぜなら例えば『いじめ』とは何かと意見を出させて、その意見をとことんまで定義させるからです」
言葉の定義はディベートにとって不可欠である。
「しかし、学ぶ人は相手に合わせることが大切です。相手を言い負かすことではありません。学ぶ人は傲慢であってはなりません。謙虚であるべきです」
学ぶ者は傲慢であってはならない、か。思わずプリントに「謙虚」と書く。
「知識があるということと頭がいいということは違います。といっても知識を否定しているわけではありませんよ。私は病気で小学生の時にずっと入院していました。
暇なので病室にあった広辞苑を読んでいました。それで確かに知識は増えました。そして早く大人になりたかったんです。大人とは知識がある人だと思ってましたから」
子どもに「なぜ勉強するの?」と聞かれたら大人は何と答えたらいいのだろう。
「もし家にパスタ、玉ねぎ、ひき肉、トマト缶しかなかったら何を作りますか?君だったら?」
と一人の児童を指す。
トマトスパゲティです」
「そうですね。でもその材料がなかったらどうします?お手上げですよね。何も作り出すことはできません。材料は知識です。知識を使って何を作り出すかが重要なんです」
僕は「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出した。先人が学んだ知識を学び、それに自らが学んだ知識を加えると遠くまで見渡すことができる。
授業が終わると児童と保護者から拍手が起きた。
僕はー
僕は気がついたら泣いていた。
学問という深淵を覗き込み、その計り知れない奥深さに感動した涙だった。
もっと勉強したいー心底そう思った。
娘には感謝している。娘のおかげで様々な体験ができて視野が広がった。もし来年受験に失敗しても娘が学んだことは決して無駄にはならないはずだ。

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此この先まだまだいつまでか
生きてゆくのであろうけど


管理人マーキュリーマークからの連絡。
正直、申しまして私は一人の弱い一人の人間です。
令和五年九月に令和五年八月の月末の転載が行えなかったので今月行いました。
ドリアン長野がフェイスブックの投稿を月末に行うとは思ってませんでした。
特別な投稿を除外し今年分で転載を取り止める予定です。 敬具

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。